個人投資家サラリーマンの脱獄記録

労働者という現代の奴隷が脱獄出来るか終身刑になるのかの記録を綴ります。投資先は米国株です。グロース株を主体にVTI等の積立投資も実行している。住宅ローンあり妻子ありの平凡なサラリーマンのブログです。

‐前編‐ 30代の普通のサラリーマンが“個人投資家サラリーマン”になろうと決めた理由と自己紹介

このブログは現代の奴隷であるサラリーマン(私自身)が、自由を手に入れる為の決断をした経緯と個人投資家サラリーマンとして、今後の投資方針をさらしていくアカウントになっています。


私は30代の平凡なサラリーマンです。妻と2人の娘がいて、関東圏に住んでいます。


初めてブログを書くということもあるので、
どうしてその決断に至ったのかという経緯と自己紹介を、備忘録も兼ねて、書いていきたいと思っています。


新型ウイルスによるパンデミックがわたしたちの日常を一変させました。


将来不安や現在そして今後の働き方に漠然とした悩みを抱えている方へ届き、少しでも共感してもらえたら嬉しい限りです。



学生時代に考えていたこと

私が就職活動をしていたのは2008年。


リーマンショックの直後で求人倍率も低く、


40社50社へエントリーをするのは当たり前の環境でした。


大学では法学部に在席し、2年次で行政書士試験に合格し、3年次では短期留学とアルバイト、アルバイトで貯めたお金でバックパッカーとして数カ月海外を放浪するという生活をしていました。


重症化は免れましたが、私もいわゆる“意識高い病”に感染してしまい、当時はサラリーマンなんてカッコ悪い、起業しようなどと、特段やりたいことも解決したい課題もあるわけでもないのに、そんなことを考え過ごしていました。


そんなさなかの就職活動でしたので、明確にやりたい仕事も、入りたい会社もなかったですし、内定切りが普通に起こる時代だったのと、世の中を舐めた態度がにじみ出ていたことも相まって、なかなか内定は貰えませんでした。


とはいえ、就職はしないとならないという焦りもあり、粘り強く就職活動を続ける中で「無形商材の営業スキルは起業時に使えるな」と考えて、リクルートの選考に進みました。


当時(今も?)、リクルート出身の起業家が多く、そんなことも影響してたかもしれません。


リクルートの選考は最終面接で落ちてしまったので、その後リクルートの代理店の選考へ参加しました。


最終面接で「3年で辞めます」と我ながら頭の悪い発言をしながらも、内定を頂いたので、そこに就職しました。




社会人序盤で味わう挫折と気付き

その会社では3年弱という短い時間でしたが、今でもあの会社で働けて良かったな、と思える素敵な会社と上司、そして同期に巡り合うことができました。


3年弱しか働いていないので当たり前といえば当たり前かもしれませんが、決して経済的には恵まれていなかったことと、入社前の段階で、リーマンショックを理由に基本給5%カットの通達が来たことは何となく覚えています。


その後、独立起業をフワフワと適当に考えていたこと、行政書士資格は保持していたこともあり、法律の実務家として独立起業しよう、と考えはじめ、実務を身に付けたいという安直な理由で法律事務所に転職しました。


ここで大きな挫折をします。


まず、この事務所の思想や方針、業務内容、また共に働く人たちと私が決定的にミスマッチで、結果としては試用期間3カ月の満了で私は辞めることを決めました。


この3カ月が、3カ月とは思えないほど長く、むなしく感じ、同時に将来不安を感じていたのは今でも覚えています。


一度リセットして公務員になるために専門学校に行こうかという学びへの逃避を本気で考えたりもしていました。


この頃は月給20万円位だったので、年収240万円程。


それまでは年収350万円程だった記憶なので、


年収350万円→年収240万円→無職というゴールデンルートが完成し、起業どころの話ではない状態になってしまいました。


しかし、ここで私はとても重要な事に気が付きました。


まず、自分自身が法律の仕事に全く魅力を感じていないという事。行政書士資格の勉強も、行政書士になりたかった訳でもなく暇だから何か目標が欲しいと始めたもので、資格取得自体が目的でした。


次に起業したいという動機が行政書士資格取得と同じ思考パターンだったという事に気が付きました。
要は、起業とはなにか世の中の課題を解決したり、価値を創造したりすることの手段のはずなのに、起業すること自体が目的になっていたという事。


最後に、自分は結構無能なんだと気付いた事です。
たいした努力もせずとも、学校の勉強で落ちこぼれる事もなく、好きな事をして過ごし、新卒入社した会社では営業成績は年次にしては良い方で、新人賞やグレード別のMVPを取ったりしていたのですが、これは本当に優秀な先輩と仕組み、そしてリクルートブランドの強力なサービスだから売れるのであって、決して自分の力ではなかった。


それなのに、私は自分が有能な人間で自分の実力だと勘違いしていました。




イチからの出直し

その後、すでにお金も職もプライドも、失うものは何もない状態でしたので、イチからの出直しだと頭を切り替え、社員数20名の小さなインターネット広告代理店に転職しました。


創業6期目で会社としての制度も仕組みも整っているとは言い難く、いつ潰れてもおかしくない規模感だった記憶があります。


すでに私は25~26歳でしたが、条件交渉は一切せず、提示された年収は、新卒社員と同等の額面でした。


ただ、今まで勘違いしていたという事もあり、まずは目の前の仕事で結果を出すということのみを考え、働き始めたのを覚えています。


また、丁度その頃、付き合っていた彼女との間に子供が出来、齢25歳で結婚をする、そして来春には子どもが生まれる、しかし私の給料は新卒並という極めて深刻な状況で、少しでも稼ごうと、ただ必死でした。


時流も運良く味方して、会社も成長し、それに併せ私も昇進していきました。給料も徐々に増えていき、日々の生活に困るようなことはなくなりました。


年収も500万→600万→700万→800万と20代にしては相対的に多く稼げるようになっていました。


つづく

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