個人投資家サラリーマンの脱獄記録

労働者という現代の奴隷が脱獄出来るか終身刑になるのかの記録を綴ります。投資先は米国株です。グロース株を主体にVTI等の積立投資も実行している。住宅ローンあり妻子ありの平凡なサラリーマンのブログです。

‐後編‐ 30代の普通のサラリーマンが“個人投資家サラリーマン”になろうと決めた理由と自己紹介

それでも感じるモヤモヤ

会社員や組織人であれば、どこでもある当たり前のことかもしれませんが、実業務に加え、複雑な人間関係や理不尽な対応など、金銭面の不安や生活の困窮から脱しても、生きていれば様々なストレスは付きまとうと思います。


現在の私は、幸いにも新型ウイルスによる影響もほぼ受けることもなく、恐らく相対的にも、主観としても恵まれていると思っています。


ただ、なにかずっと心の中に引っかかるものがありました。


そんなことを感じる余裕のなかった時期が過ぎた時に、ふと意識することが増えた気がします。


このモヤモヤや言葉に出来ない不安感は何だろう、とずっと考えていましたが、なかなか的確な言葉が出て来ませんでした。


妻や子供たち、両親とは皆仲良く幸せに暮らして、今のところ大きなけがや病気もしていません。
旅行が好きなので、毎年家族で海外旅行に今の所、行けています。


週末は好きなサーフィンや釣りを楽しみ、子供たちと遊んでいます。


仕事は楽ではないですが、すでに会社を去った元メンバー含め、今でも優秀な部下に恵まれています。


決して満たされないという訳ではなく、ただ何となく不安で怖いという感覚がずっと心の中にあるのです。




不安と恐怖の正体

この不安と恐怖感に気付き、今後自分はどうすべきかを真剣に考えるきっかけになった出来事があります。


私が管理職として約20名ほど部下を持っていた時でした。


「あきらかにおかしい」「誰の為にもならない」「費用対効果も悪い」「コンプラギリギリグレーっすよ」と思う事を会社の意思決定として推し進め、また部下に説明しました。


サラリーマンとして、また自分の立場として、そして仕事として、自分のしたことは間違っていなかったと思っています。


ただ、多くのメンバーが職場を去りました。
そして、戦力が減るので、残ったメンバーに過度な負担をかけてしまいました。


これは会社のことを批判しているのではありません。


自分の会社ではないので、自分の思う通りにはならない、という当たり前の事を書いているだけです。


あの時、私は自分や部下、組織の事、そしてクライアントの事を考えて、経営陣に面と向かいあい、ストレートに何度も根気強く、反対意見・別のやり方を、伝えることが出来ませんでした。


嫌われ、自分の評価を落とし、その結果報酬が減り、自分の生活レベルが下がることが怖かった。


いやいや、結果で評価されるので良い結果出せばそんなことない、という事も理解しています。


しかし組織や人はそのような杓子定規な基準を機械のように当てはめ、綺麗に意思決定できているという事はない、とも思っています。


世間を賑わす、大企業の不祥事に手を染めてしまう人を擁護するわけではないですが、「嫌だ」「できません」と言えない気持ちは何となく分かるのです。


前から薄々と感じていた不安と恐怖の正体が、この時分かりました。


私は生活も家族も時間も、多くのことを会社に握られている、依存している、という状態が恐怖の正体でした。


あたりまえですが、会社は社員を守ってくれません。これは若い人に届いてほしい。妙な期待をして勝手に失望しないでほしい。そしていっときの感情で間違った判断をしないでほしい。


たとえば、経営陣が経営判断を誤り、業績が悪化すれば、そこにいる社員に責任がなくても(1ミリも関与していなくても)給料は下がるでしょう。


会社が潰れれば、職すら失うでしょう。


これは会社員として働く誰もが同じ状況かもしれません。


そのために、専門的なスキルやモビリティスキルを高め、どこでも通用するビジネスマンになる必要がある、という話も間違っていないと思っていますし、人材の流動性が少しづつ高まり、働き方を見直し、副業も市民権を得られるようになった現代では、教科書的な考え方だと思います。


ただ、ひとつ、事実があります。


資本主義社会では労働者という立場である限り、この私が感じている不安を生み出す根本的な構造は、何も変わりません。


新しい会社に移って、労働環境が良くなろうと、多少給料が上がろうとも、また同じ力学がそこで働くだけ、ということです。




私は何を望んでいるのか、何が欲しいのか


学生時代~社会人序盤に“なんとなく”「起業したい」「社長になりたい」と思っていたことを振り返り、その“なんとなく”を深堀りしていくと、私の本当に望んでいたものが見えてきました。


一つはお金です。


めちゃくちゃ贅沢したいとか、Twitterでお金配りたいとかそうゆう欲はないのですが、大切な人と不自由なく、好きな旅行をして暮らしていければいい程度にはお金が欲しいと思っています。


もうひとつ、自由を望んでいる自分がいる事に気付きました。


現代の日本では人間はみな自由といえば自由なんですが、もっとエゴに近い感覚です。


私は、


誰かに指示されるのがあまり好きではないです。


誰かに言われたことをやるだけなんて最悪です。


自分がこうしたいと思ったことをやれる自由、嫌なことを嫌だと言える自由が欲しい。


そういったことが昔から潜在的にあって、それが当時の私の口から「起業」というフワフワした言葉で出て来てたのだと思います。




私たちの生きている資本主義社会とは


私がこれからどうしていくのか、という事を説明する前に、まず資本主義の構造について簡単に説明させてください。


資本主義社会の構造や力学について詳細に書くつもりはないですが、資本主義社会には大きく分けて資本家と労働者という2つの立場の人たちがいます。


そして、原則的には、そのどちらかの立場の人しかいません。


カール・マルクスは“資本論”の中で資本主義とは何かを提唱しています。


資本論の要約としては「資本主義はダメ、社会主義が至高だね」という内容なのですが、その理由を説明する中で“価値”という概念が出て来ます。


“資本家は剰余価値を増やせば、その資本がさらに大きくなりますよ”


と言っています。


労働者を使って剰余価値を生むなら、長時間死なない程度限界まで働かせれば剰余価値が増えますよと。


また、


1時間で生産してたものを仮にx個とした場合、30分でx個生産できる様にすれば、1時間で従来の2倍生産出来るので、剰余価値は増えますよと。


そして更に、


労働者に支払う賃金を安くすれば、剰余価値は増えますよと。


酷い話ですが、これらは事実だと思います。
そのような社会が自由競争の資本主義社会だと言っています。


またフランスの経済学者トマ・ピケティさんはr>gという非常にシンプルな不等式を“21世紀の資本”という著書で公表し話題になりました。


r>gとは資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いし大きい、という事です。


資本主義社会である限り経済格差は無くならない、むしろその特性上、時間の経過とともに加速しますよ、という事です。



このような世界に、労働者として生きている限り、私はたとえ給与や報酬が増えようと、環境がマイルドになろうと、私が本当に望むものはずっと手に入れられないな、と思ったのです。


市場や組織の評価に怯え、誰かの顔色を伺い、炎上上等と言える強さも無い私は、ずっとこのままなんだなと。


だから、出来ることやろう、と思いましたし、行動しようと決意しました。


ここまでが、私の自己紹介と、専業サラリーマンではなく個人投資家サラリーマンとして生きていくと決めた経緯になります。


次からは個人投資家サラリーマンとして、なぜ株式投資を選択したのか、という話を書いていきたいと思っています。

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‐前編‐ 30代の普通のサラリーマンが“個人投資家サラリーマン”になろうと決めた理由と自己紹介

このブログは現代の奴隷であるサラリーマン(私自身)が、自由を手に入れる為の決断をした経緯と個人投資家サラリーマンとして、今後の投資方針をさらしていくアカウントになっています。


私は30代の平凡なサラリーマンです。妻と2人の娘がいて、関東圏に住んでいます。


初めてブログを書くということもあるので、
どうしてその決断に至ったのかという経緯と自己紹介を、備忘録も兼ねて、書いていきたいと思っています。


新型ウイルスによるパンデミックがわたしたちの日常を一変させました。


将来不安や現在そして今後の働き方に漠然とした悩みを抱えている方へ届き、少しでも共感してもらえたら嬉しい限りです。



学生時代に考えていたこと

私が就職活動をしていたのは2008年。


リーマンショックの直後で求人倍率も低く、


40社50社へエントリーをするのは当たり前の環境でした。


大学では法学部に在席し、2年次で行政書士試験に合格し、3年次では短期留学とアルバイト、アルバイトで貯めたお金でバックパッカーとして数カ月海外を放浪するという生活をしていました。


重症化は免れましたが、私もいわゆる“意識高い病”に感染してしまい、当時はサラリーマンなんてカッコ悪い、起業しようなどと、特段やりたいことも解決したい課題もあるわけでもないのに、そんなことを考え過ごしていました。


そんなさなかの就職活動でしたので、明確にやりたい仕事も、入りたい会社もなかったですし、内定切りが普通に起こる時代だったのと、世の中を舐めた態度がにじみ出ていたことも相まって、なかなか内定は貰えませんでした。


とはいえ、就職はしないとならないという焦りもあり、粘り強く就職活動を続ける中で「無形商材の営業スキルは起業時に使えるな」と考えて、リクルートの選考に進みました。


当時(今も?)、リクルート出身の起業家が多く、そんなことも影響してたかもしれません。


リクルートの選考は最終面接で落ちてしまったので、その後リクルートの代理店の選考へ参加しました。


最終面接で「3年で辞めます」と我ながら頭の悪い発言をしながらも、内定を頂いたので、そこに就職しました。




社会人序盤で味わう挫折と気付き

その会社では3年弱という短い時間でしたが、今でもあの会社で働けて良かったな、と思える素敵な会社と上司、そして同期に巡り合うことができました。


3年弱しか働いていないので当たり前といえば当たり前かもしれませんが、決して経済的には恵まれていなかったことと、入社前の段階で、リーマンショックを理由に基本給5%カットの通達が来たことは何となく覚えています。


その後、独立起業をフワフワと適当に考えていたこと、行政書士資格は保持していたこともあり、法律の実務家として独立起業しよう、と考えはじめ、実務を身に付けたいという安直な理由で法律事務所に転職しました。


ここで大きな挫折をします。


まず、この事務所の思想や方針、業務内容、また共に働く人たちと私が決定的にミスマッチで、結果としては試用期間3カ月の満了で私は辞めることを決めました。


この3カ月が、3カ月とは思えないほど長く、むなしく感じ、同時に将来不安を感じていたのは今でも覚えています。


一度リセットして公務員になるために専門学校に行こうかという学びへの逃避を本気で考えたりもしていました。


この頃は月給20万円位だったので、年収240万円程。


それまでは年収350万円程だった記憶なので、


年収350万円→年収240万円→無職というゴールデンルートが完成し、起業どころの話ではない状態になってしまいました。


しかし、ここで私はとても重要な事に気が付きました。


まず、自分自身が法律の仕事に全く魅力を感じていないという事。行政書士資格の勉強も、行政書士になりたかった訳でもなく暇だから何か目標が欲しいと始めたもので、資格取得自体が目的でした。


次に起業したいという動機が行政書士資格取得と同じ思考パターンだったという事に気が付きました。
要は、起業とはなにか世の中の課題を解決したり、価値を創造したりすることの手段のはずなのに、起業すること自体が目的になっていたという事。


最後に、自分は結構無能なんだと気付いた事です。
たいした努力もせずとも、学校の勉強で落ちこぼれる事もなく、好きな事をして過ごし、新卒入社した会社では営業成績は年次にしては良い方で、新人賞やグレード別のMVPを取ったりしていたのですが、これは本当に優秀な先輩と仕組み、そしてリクルートブランドの強力なサービスだから売れるのであって、決して自分の力ではなかった。


それなのに、私は自分が有能な人間で自分の実力だと勘違いしていました。




イチからの出直し

その後、すでにお金も職もプライドも、失うものは何もない状態でしたので、イチからの出直しだと頭を切り替え、社員数20名の小さなインターネット広告代理店に転職しました。


創業6期目で会社としての制度も仕組みも整っているとは言い難く、いつ潰れてもおかしくない規模感だった記憶があります。


すでに私は25~26歳でしたが、条件交渉は一切せず、提示された年収は、新卒社員と同等の額面でした。


ただ、今まで勘違いしていたという事もあり、まずは目の前の仕事で結果を出すということのみを考え、働き始めたのを覚えています。


また、丁度その頃、付き合っていた彼女との間に子供が出来、齢25歳で結婚をする、そして来春には子どもが生まれる、しかし私の給料は新卒並という極めて深刻な状況で、少しでも稼ごうと、ただ必死でした。


時流も運良く味方して、会社も成長し、それに併せ私も昇進していきました。給料も徐々に増えていき、日々の生活に困るようなことはなくなりました。


年収も500万→600万→700万→800万と20代にしては相対的に多く稼げるようになっていました。


つづく

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